第1回グラミー賞 総合部門を深堀り — マンシーニ『Peter Gunn』とイタリア語の「Volare」が開いた最初の夜 | GAJ ヒストリー
1959年5月4日、ロサンゼルスのビバリー・ヒルトン(Beverly Hilton)のグランド・ボールルームで開かれた第1回グラミー賞。対象は1958年1月1日から12月31日までにリリースされた録音で、授賞式はテレビ中継すらされなかった。のちに「Big 4」と呼ばれる総合部門(General Field)も、この夜はまだ3部門しかない。最優秀新人賞(Best New Artist)が新設されるのは翌年の第2回からだ。
本稿では、その3部門──アルバム・オブ・ザ・イヤー(AOTY)、レコード・オブ・ザ・イヤー(ROTY)、ソング・オブ・ザ・イヤー(SOTY)──の受賞作とノミネートを一つずつ読み解く。最初のグラミーが何を評価したのかを知ると、67年後の現在の受賞結果も違って見えてくる。
アルバム・オブ・ザ・イヤー:Henry Mancini『The Music From Peter Gunn』
記念すべき初代 AOTY は、作曲家ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)の『The Music From Peter Gunn』。ブレイク・エドワーズ(Blake Edwards)が手がけたテレビドラマ『ピーター・ガン』の音楽をまとめたアルバムで、表題曲は Recording Academy 自身が「最初のヒットしたテレビテーマ」と位置づけている。
ノミネートは次の5作。
★ Henry Mancini『The Music From Peter Gunn』
Frank Sinatra『Come Fly With Me』
Frank Sinatra『Only The Lonely』
Ella Fitzgerald『Ella Fitzgerald Sings The Irving Berlin Song Book』
Van Cliburn『Tchaikovsky: Concerto No. 1 In B-Flat Minor, Op. 23』
顔ぶれを見ると、当時の「アルバム」という単位が何を意味していたかがよく分かる。シナトラは1958年に出した2作がそろって候補入りした。ビリー・メイと組んだ軽快な『Come Fly With Me』と、ネルソン・リドルの編曲によるコンセプト作『Only The Lonely』だ。grammy.com は、2作が票を分け合ったことが受賞を逃した一因とみている。エラ・フィッツジェラルドはアーヴィング・バーリンのソングブック集で、ピアニストのヴァン・クライバーンは1958年4月にモスクワの第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した直後の録音で名を連ねた。
ジャズ・ボーカル、クラシック、映画音楽的なインストゥルメンタル。ジャンルを横断した5作のなかから、テレビのための音楽が選ばれた点に、この賞の出発点が表れている。マンシーニはここからグラミーを通算20回受賞し、エドワーズとは後に『ピンク・パンサー』シリーズでも組むことになる。
レコード・オブ・ザ・イヤー:Domenico Modugno「Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)」
初代 ROTY を手にしたのは、イタリアのシンガーソングライター、ドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno)。「Volare」の通称で世界中に知られる「Nel Blu Dipinto Di Blu」は1958年2月1日にシングルとして発売され、米ビルボード Hot 100 で5週連続1位を記録した。
★ Domenico Modugno「Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)」
Perry Como「Catch A Falling Star」
Peggy Lee「Fever」
David Seville And The Chipmunks「The Chipmunk Song」
Frank Sinatra「Witchcraft」
全編イタリア語で歌われる曲が、アメリカの音楽業界が自ら創設した賞の最高部門を最初に獲った。grammy.com は2012年の記事で、ROTY を受賞した外国語の作品はこの曲だけだと記している。対抗馬にはペギー・リーの「Fever」、ペリー・コモの「Catch A Falling Star」、シナトラの「Witchcraft」、そしてノベルティ曲「The Chipmunk Song」と、1958年の米国ヒットが並んでいた。
ソング・オブ・ザ・イヤー:同じく「Volare」(作詞・作曲 Domenico Modugno / Franco Migliacci)
SOTY は演奏者ではなく作家に贈られる賞だ。ここでも「Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)」が選ばれ、モドゥーニョと作詞のフランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)が受賞した。第1回にして、同じ1曲が ROTY と SOTY を同時に制したことになる。
★「Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)」— Domenico Modugno, Franco Migliacci
「Catch A Falling Star」— Lee Pockriss, Paul Vance
「Fever」— Eddie Cooley, John Davenport
「Gigi」— Alan Jay Lerner, Frederick Loewe
「Witchcraft」— Cy Coleman, Carolyn Leigh
5曲中4曲は ROTY と重なり、残る1曲はヴィンセント・ミネリ監督の映画『恋の手ほどき(Gigi)』の主題歌。ラーナー&ロウ、サイ・コールマン&キャロリン・リーといったブロードウェイ/グレート・アメリカン・ソングブックの作家陣を抑えて、イタリア語の歌が選ばれた。
最優秀新人賞:この年はまだ存在しなかった
Big 4 の最後の一角、Best New Artist は第1回には設けられていない。初代受賞者は翌1960年の第2回で選ばれたボビー・ダーリン(Bobby Darin)だ。つまり「Big 4」がそろうのは第2回から。第1回の総合部門は、アルバム・録音・楽曲という作品そのものを評価する3部門で始まった。
GAJ 視点:言葉の壁は、最初の夜から越えられていた
第1回グラミーの総合部門を振り返ると、日本の音楽にとって示唆的な点が三つある。
英語でない曲が、最初の ROTY と SOTY を獲っている。言語は評価の前提条件ではなかった。2026年の第68回で Bad Bunny がスペイン語作品で AOTY を受賞したのも、この系譜の上にある。
AOTY はテレビドラマの音楽だった。映像作品と結びついた音楽が最高賞に届くことは、アニメやドラマの主題歌が海外で聴かれている日本にとって見逃せない前例だ。
候補作はジャズ、クラシック、ポップスを横断していた。ジャンルの「主流」に合わせるより、作品として完成度の高いものが残るという原則は、67年たった今も変わらない。
日本からも、1963年に坂本九「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」が日本語のまま米ビルボード1位に届いた歴史がある。母語のままで世界に届く音楽は、グラミーの最初の夜からすでに評価の対象だった。
関連映像
Domenico Modugno「Volare (Nel Blu Dipinto Di Blu)」── 第1回 ROTY・SOTY 受賞曲
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参考:GRAMMY.com「Who Won Album Of The Year At The 1st GRAMMY Awards?」 / GRAMMY.com Album Of The Year 1959
発行:株式会社BRUSH MUSIC / GAJ ヒストリー
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