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Daft Punk|アーティスト歴史 完全版 — 2体のロボットが電子音楽を「Album Of The Year」へ運ぶまで/グラミー賞 6勝12ノミネート 全記録

5 日前
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「Get Lucky」(2013年4月19日リリース) ── ファレル・ウィリアムス、ナイル・ロジャースを迎えたこの1曲が、2014年2月の第56回グラミー賞で Record Of The Year を獲り、同時にアルバム『Random Access Memories』を Album Of The Year へ運んだ。エレクトロニック・ミュージックの作品が本賞を獲ったのは、グラミー賞の歴史で初めてだった。

数字で見る Daft Punk

  • グラミー賞 受賞 6回 / ノミネート 12回(The Recording Academy 公式アーティストページ)

  • 結成 1993年・パリ / 解散 2021年2月22日 ── 活動期間 28年

  • メンバー 2人(Thomas Bangalter / Guy-Manuel de Homem-Christo)

  • 二人が出会ったのは 1987年、パリの Lycée Carnot

  • バンド名の由来は 1992年の前身バンド Darlin' への酷評「daft punky thrash」

  • スタジオ・アルバム 4枚(1997 / 2001 / 2005 / 2013)

  • 初のグラミー・ノミネート 1997年「Da Funk」(Best Dance Recording)

  • 初受賞 2009年・第51回で2部門(「Harder Better Faster Stronger」/『Alive 2007』)

  • 第56回(2014年)は4部門受賞 ── ROTY / AOTY / Best Pop Duo・Group Performance / Best Dance・Electronic Album

  • Billboard 200 で初の1位は 2013年『Random Access Memories』

  • 「Get Lucky」は Billboard Hot 100 で最高2位

  • 解散を告げた映像「Epilogue」は約8分。曲ではなく、映像1本で終わりを announce した

はじめに ── なぜいま Daft Punk を読み直すのか

Daft Punk は「ヘルメットをかぶった2人組」として記憶されている。だがこのプロジェクトが音楽産業に残したものは、ビジュアルの奇抜さではない。ダンスミュージックを「シングルの集合」から「通して聴くアルバム」へ引き上げ、覆面という匿名性を弱点ではなく資産に変え、最後は生演奏に戻ることで電子音楽の評価軸そのものを動かした。

グラミー賞という物差しで見ると、その移動距離は残酷なほど分かりやすい。1997年、彼らの最初のノミネートは Best Dance Recording という「ジャンルの部屋」だった。2014年、彼らは Album Of The Year という「全ジャンル共通の部屋」に立っていた。この記事は、その17年をたどる。

日本の音楽関係者にとって、この軌跡は他人事ではない。ジャンルの部屋から一般部門へ出ていく道筋は、いま日本の作品が直面している課題とほぼ同じ形をしているからだ。

第1章|1987年、パリの高校で

Thomas Bangalter と Guy-Manuel de Homem-Christo が出会ったのは 1987年、パリの Lycée Carnot だった。二人とも十代前半。まだ電子音楽の作り手ではなく、ロックとポップスを浴びるように聴く生徒だった。

後年の Daft Punk を「フランス発の電子音楽ユニット」と一行で説明すると、この出発点が抜け落ちる。彼らの音楽にいつも人力のグルーヴと歌のフックが残り続けたのは、最初がバンドだったからだ。

第2章|1992年 Darlin' ── 酷評が名前になった

1992年、二人は Laurent Brancowitz を加えて Darlin' というバンドを組む。Bangalter がベース、de Homem-Christo がギター、Brancowitz がギターとドラム。インディー・ロックだった。

英国の音楽批評がその曲を「daft punky thrash(間の抜けたパンクもどきの騒音)」と切り捨てる。普通なら傷として残る一文を、二人はバンド名に採用した。ここに Daft Punk の性格が最初から出ている。外から貼られたラベルを、そのまま自分の看板にしてしまう。

なお Brancowitz はこの後 Phoenix へ合流する。パリの同じ教室から、二つの世界的バンドが出た。

第3章|1993年、Daft Punk 誕生

1993年、二人組の Daft Punk が始まる。当時のパリにハウスの土壌はほとんどなく、彼らはシカゴとデトロイトの輸入盤を頼りに制作を覚えていった。

ロック出身者がハウスを作る、という立ち位置がそのまま独自性になった。フィルターをかけたディスコのループに、ロックの構成感覚とギターの手癖が混ざる。のちに「フレンチ・タッチ」と呼ばれる音の原型である。

第4章|1995年「Da Funk」── 世界が最初に振り向いた

1995年のシングル「Da Funk」は、ファンクとアシッド・ハウスを一本のグルーヴに縫い合わせたインストゥルメンタルだった。歌もフックもないのに、クラブの外まで届いた。

この曲は 1997年に Best Dance Recording でグラミー賞に初ノミネートされる。この時点では、まだ「ダンス部門のフランス人」だった。

「Da Funk」(1995) ── 公式チャンネルのリマスター版。歌のない4分半が、彼らを国外へ運んだ。

第5章|1997年『Homework』── アルバムとして聴かせる

デビュー・アルバム『Homework』(1997年)は、当時のダンスミュージックとしては異例の作りをしていた。12インチを寄せ集めたコンピレーションではなく、通して聴く順番が設計されている。

ダンスミュージックを「アルバム」というフォーマットで評価させる ── のちのグラミー賞での戦いは、実はここから始まっている。

第6章|「Around the World」── MVを作品側に置く

「Around the World」のミュージックビデオは、ミシェル・ゴンドリーが手がけた。楽器のパートごとにダンサーの種類を割り当て、音の構造を目で見える形に翻訳した。

Daft Punk は以後、映像を「宣伝物」ではなく「作品の一部」として扱い続ける。この方針が後の『Interstella 5555』にも、解散を告げた「Epilogue」にもつながっていく。

「Around the World」(1997) ── ミシェル・ゴンドリー監督。音の構造をそのまま振付に置き換えた。

第7章|1999年、ヘルメット ── 匿名性を資産に変える

1999年、二人はロボットのヘルメットをかぶって公の場に出るようになる。素顔を出さないという選択は、当時のポップスの常識に逆行していた。

だがこれは隠れる装置ではなく、増幅する装置だった。顔がないぶん作品と記号だけが流通し、どのメディアに載っても像がぶれない。個人の消費期限と作品の寿命を切り離す仕掛けでもある。

第8章|2001年『Discovery』── ディスコとAORの再発明

『Discovery』(2001年)で、二人は一気に歌もの側へ振り切る。70〜80年代のディスコ、R&B、グラムロックを電子的な加工で通し直した、明るく甘い一枚だった。

「One More Time」「Digital Love」「Harder, Better, Faster, Stronger」── ここで作られたフックは、20年以上あとの世代にサンプリングされ続けている。「One More Time」は 2002年に Best Dance Recording でノミネートされた。

「One More Time」(2000) ── 『Discovery』の開幕曲。2002年に Best Dance Recording でノミネート。

第9章|『Interstella 5555』── アルバムを長編アニメにする

『Discovery』全曲に映像をつけ、松本零士の監修で一本の長編アニメーションに仕立てたのが『Interstella 5555: The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem』(2003年)である。セリフはない。音楽だけで物語が進む。

日本のアニメーションとフランスの電子音楽が、宣伝企画ではなく作品として組まれた稀な例だ。日本の制作現場にとって、いまも参照する価値のある座組である。

第10章|2005年『Human After All』── 賛否と、その後

『Human After All』(2005年)は短期間で作られ、反復を極端に押し出した硬質な作品だった。当時の評価は割れた。

ただしこのアルバムは Best Dance/Electronic Album にノミネートされ、なにより収録曲がライブで別物へ育つ。批判された素材が、次の章で最大の武器になる。

第11章|2006-2007 ── ピラミッドが作った10年

2006年のコーチェラ、そして 2007年のワールドツアー。ピラミッド型のセットに立つ2体のロボットという光景は、以後10年のダンスミュージックのライブ演出を規定した。

2007年6月14日、パリの Palais Omnisports de Paris-Bercy での公演を収めたライブ盤『Alive 2007』が同年11月19日にリリースされる。『Human After All』の曲が、ここで完全に生まれ変わった。

「Harder, Better, Faster, Stronger」(2001) ── このライブ版が 2009年に Daft Punk 初のグラミー受賞をもたらす。

第12章|2009年、初のグラミー2冠

第51回グラミー賞(2009年)で、Daft Punk はついに受賞側へ回る。「Harder Better Faster Stronger」で Best Dance/Electronic Recording、『Alive 2007』で Best Dance/Electronic Album。デビューから12年、初ノミネートから12年後だった。

受賞はいずれもダンス/エレクトロニック部門。まだ「ジャンルの部屋」の中にいる。

第13章|2010年『TRON: LEGACY』── オーケストラへ

ディズニー映画『トロン: レガシー』(2010年)のスコアで、二人は約85人編成のオーケストラとシンセサイザーを同じ譜面の上に置いた。

この仕事は第54回グラミー賞(2012年)で Best Score Soundtrack にノミネートされる。受賞は逃したが、生演奏の現場で指揮者・エンジニア・アレンジャーと働いた経験が、次のアルバムの方法論そのものになった。

第14章|2013年『Random Access Memories』── 逆張りの完成形

EDMがフェスの主役になり、制作がノートPC1台で完結し始めた 2013年に、Daft Punk が出した答えは「スタジオに人を集めて生で録る」だった。

ナイル・ロジャース、ファレル・ウィリアムス、ジョルジオ・モロダー、ポール・ウィリアムス、ジュリアン・カサブランカス。電子音楽ユニットの作品でありながら、クレジットの大半は人間の演奏で埋まっている。

『Random Access Memories』は彼らにとって初の Billboard 200 1位となり、「Get Lucky」は Hot 100 で最高2位を記録した。

「Instant Crush」ft. Julian Casablancas(2013) ── 『Random Access Memories』の中でも、バンド出身であることが最も露わになる一曲。

第15章|2014年2月 ── 史上初の Album Of The Year

第56回グラミー賞で、Daft Punk は4部門を受賞する。Record Of The Year(Get Lucky)、Best Pop Duo/Group Performance(Get Lucky)、Best Dance/Electronic Album(Random Access Memories)、そして Album Of The Year(Random Access Memories)。

エレクトロニック・ミュージックの作品が Album Of The Year を受賞したのは、グラミー賞の歴史で初めてだった。17年前に Best Dance Recording でノミネートされた2人組が、全ジャンル共通の最高賞の側へ移った瞬間である。

受賞スピーチでも二人は話さなかった。ヘルメットのまま立ち、代わりにポール・ウィリアムスとナイル・ロジャースがマイクを取った。最後まで設計どおりだった。

第16章|2021年「Epilogue」── 終わり方まで作品にした

2021年2月22日、Daft Punk は約8分の映像「Epilogue」で解散を告げた。荒野を歩く2体のロボット。片方がジャケットを脱ぐと背中に自爆スイッチがあり、もう片方がそれを押す。

声明文もインタビューもなかった。28年の活動を、言葉ではなく1本の映像で閉じた。作品と人格を切り離し続けたユニットにとって、これ以上に一貫した終わり方はない。

第17章|2023年以降 ── アーカイブと、その先

解散からちょうど2年後の 2023年2月22日、『Random Access Memories』10周年エディションの制作が発表される。デモとアウトテイクを収めたボーナス・ディスク付きだった。

同年4月7日には Thomas Bangalter がソロ作『Mythologies』を発表する。バレエのために書かれたオーケストラ作品で、電子楽器は使われていない。ロックバンドから始まり、電子音楽で頂点に立ち、生楽器へ戻る ── 30年の円がここで閉じる。

グラミー賞 全記録 ── 受賞6回 / ノミネート12回

受賞(6回)

  • 2014年・第56回|Album Of The Year ── 『Random Access Memories』★エレクトロニック作品として史上初

  • 2014年・第56回|Record Of The Year ── 「Get Lucky」(with Pharrell Williams, Nile Rodgers)

  • 2014年・第56回|Best Pop Duo/Group Performance ── 「Get Lucky」

  • 2014年・第56回|Best Dance/Electronic Album ── 『Random Access Memories』

  • 2009年・第51回|Best Dance/Electronic Recording ── 「Harder Better Faster Stronger」

  • 2009年・第51回|Best Dance/Electronic Album ── 『Alive 2007』

主なノミネート

  • 1997年|Best Dance Recording ── 「Da Funk」(初ノミネート)

  • 2002年・第44回|Best Dance Recording ── 「One More Time」(with Romanthony)

  • 2002年・第44回|Pop Instrumental Performance ── 「Short Circuit」

  • 2006年・第48回|Best Dance/Electronic Album ── 『Human After All』

  • 2012年・第54回|Best Score Soundtrack For Visual Media ── 『TRON: Legacy』

※ 受賞・ノミネートの件数と部門名は The Recording Academy 公式アーティストページ(grammy.com)の記載に準拠。エンジニア・プロデューサー名義で贈られる部門は、アーティスト本人の受賞数に含めない集計となっている。

Big 4(一般4部門)との関係

Daft Punk が獲った一般部門は Album Of The Year と Record Of The Year の2つ。Song Of The Year と Best New Artist の受賞はない。それでも「エレクトロニック・ミュージックが一般部門を獲れる」という前例を最初に作ったのは彼らであり、以後の Dance/Electronic 勢の評価はこの1回を基準に語られている。

ディスコグラフィ ── スタジオ・アルバムと主要作

  • 1997年『Homework』── デビュー作。「Da Funk」「Around the World」収録

  • 2001年『Discovery』── 「One More Time」「Digital Love」「Harder, Better, Faster, Stronger」収録

  • 2003年『Interstella 5555』── 『Discovery』全曲を松本零士監修で長編アニメ化した映像作品

  • 2005年『Human After All』── 3作目。第48回でノミネート

  • 2007年『Alive 2007』── ライブ盤(2007年6月14日パリ Bercy 公演/同年11月19日発売)。第51回で2部門受賞

  • 2010年『TRON: Legacy』── ディズニー映画のオリジナル・スコア。第54回でノミネート

  • 2013年『Random Access Memories』── 4作目にして最後のスタジオ作。第56回で AOTY を含む4部門受賞

  • 2023年『Random Access Memories (10th Anniversary Edition)』── デモ・アウトテイク収録のボーナス・ディスク付き

日本の音楽関係者にとっての Daft Punk

Daft Punk の17年は、「ジャンルの部屋」から「一般部門」へ出ていくための道筋そのものである。ダンスミュージックはダンス部門で評価される ── その前提を崩したのは、ジャンルを捨てたからではない。アルバムという単位で作り、映像まで作品として設計し、生演奏の現場に足を運んで、審査する側が使っている評価軸の上で戦ったからだ。

日本の作品が国際的な賞の議論に乗るとき、ぶつかるのは同じ壁である。「J-POP」「シティポップ」「アニメソング」というジャンルの部屋は入口としては有効だが、そこに留まる限り一般部門の議論には入らない。Daft Punk が示したのは、部屋を出るには作品の作り方と見せ方を先に変える必要がある、という順番だった。

G Association Japan(GAJ) は、日本の音楽関係者がグラミー賞の制度そのものを正しく理解し、実際にエントリー・投票・推薦の輪に入っていくための組織です。会員種別、エントリーの要件、年間スケジュールについては GAJ の各ページをご覧ください。

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